皆さん、こんにちは田中です。🙂
㈱へいせいがある糸島市、私が住む糸島市ですが、
今回は糸島について歴史的視点からブログを書きました!
昔は怡土郡と志摩郡に分かれていましたが、
1896年4月1日、両郡を合併させて糸島郡となりました。
別の字を宛てたようです!
今も怡土地区や志摩地区は名前が残っています。
大昔、志摩と怡土とは海を隔てていましたので、
志摩は、ほぼ島でした。🙂
(埋め立ての干拓事業などもあり、地続きとなりました。)
(図のように怡土と志摩の間に海が!)
JR様の糸島高校前駅の「伊都の杜」地区や学研都市駅の周辺の
伊都区画整理地区の大型開発地の伊都(イト)も怡土や糸の音と同じです。
おそらく、まだ文字がない時代に、
この地を弥生時代の人(‘_’)が👄「イ・ト」と発音してたのでしょうか!?
そう、個人的には考えます!
(左から五行目に、はっきり伊都国と記載の魏志和倭人伝)
志賀島で見つかった「漢委奴国王」の金印も
真ん中の文字「委奴」も読み方変えるとイトと読めます。
邪馬台国伝説は、皆様一度は聞かれた事があると思いますが、女王の卑弥呼の、
生まれた場所が糸島市の平原という説もあります!
しつこいですが、女王、卑弥呼の後継者、
13歳の少女である台与(通説トヨあるいイヨ)も、
もしかしたらイトの発音が絡んでいたかも!?
トヨトヨトヨ・・・➡ イト イヨイヨイヨ・・・➡イト 😊
・・・(個人の見解です!)
弥生人には、大陸からの文化が伝わっている
この糸島が住みやすかったようですね!
最近では、住みたい街ランキングに選ばれる糸島市🙂
志摩エリアの海沿いも特に注目され、
日本の「ハワイ」とも呼ばれています!
大昔住みやすいと言うことは、今も住みやすいと言うことです。
今も昔も住みやすい糸島、私は糸島に住んでいることに幸せを感じます!😊
・・
♪た~ての糸~はアナタ~ 🎤 よ~この伊都~⤴は私~~♪