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伊都志摩!

2020年9月26日

      

皆さん、こんにちは田中です。🙂

 

㈱へいせいがある糸島市、私が住む糸島市ですが、

 

今回は糸島について歴史的視点からブログを書きました!

 

 

昔は怡土郡と志摩郡に分かれていましたが、

 

1896年4月1日、両郡を合併させて糸島郡となりました。

 

別の字を宛てたようです!

 

今も怡土地区や志摩地区は名前が残っています。

 

大昔、志摩と怡土とは海を隔てていましたので、

 

志摩は、ほぼ島でした。🙂

(埋め立ての干拓事業などもあり、地続きとなりました。)

 

(図のように怡土と志摩の間に海が!)

 

JR様の糸島高校前駅の「伊都の杜」地区や学研都市駅の周辺の

 

伊都区画整理地区の大型開発地の伊都(イト)も怡土や糸の音と同じです。

 

 

おそらく、まだ文字がない時代に、

 

この地を弥生時代の人(‘_’)が👄「イ・ト」と発音してたのでしょうか!?

 

そう、個人的には考えます!

 

(左から五行目に、はっきり伊都国と記載の魏志和倭人伝)

 

志賀島で見つかった「漢委奴国王」の金印も

 

真ん中の文字「委奴」も読み方変えるとイトと読めます。

 

邪馬台国伝説は、皆様一度は聞かれた事があると思いますが、女王の卑弥呼の、

 

生まれた場所が糸島市の平原という説もあります!

 

 

しつこいですが、女王、卑弥呼の後継者、

 

13歳の少女である台与(通説トヨあるいイヨ)も、

 

もしかしたらイトの発音が絡んでいたかも!?

 

トヨトヨトヨ・・・➡ イト    イヨイヨイヨ・・・➡イト 😊

 

・・・(個人の見解です!)

 

弥生人には、大陸からの文化が伝わっている

 

この糸島が住みやすかったようですね!

 

 

最近では、住みたい街ランキングに選ばれる糸島市🙂

 

志摩エリアの海沿いも特に注目され、

 

日本の「ハワイ」とも呼ばれています!

 

 

大昔住みやすいと言うことは、今も住みやすいと言うことです。

 

今も昔も住みやすい糸島、私は糸島に住んでいることに幸せを感じます!😊

 

 

・・

 

 

 

♪た~ての糸~はアナタ~ 🎤 よ~この伊都~⤴は私~~♪

 

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